エピソード
6.1 神はどこにいたのか?
5 分FHD
神は善か?(第6話)·1/3クリップ 1/3
6.1 神はどこにいたのか?
私たちが苦しみに対して感情的に反応するのは、誰かを大切に思っている証拠だ......そうでなければ、私たちは愛のない世界に生きていることになる。
質問関連する質問
質問する聖書のことば
シェアHebrews 4:15-16
For we do not have a high priest who is unable to sympathize with our weaknesses, but we have one who was tempted in every way that we are, yet was without sin. Let us then approach the throne of grace with confidence, so that we may receive mercy and find grace to help us in our time of need.
Berean Standard Bible
Public Domain
続きを読む...トランスクリプト
Japanese (日本語)
学校で学生と話したり、
幼友達や、日常的に会う人と 話すときでも、
キリスト教を信じるには障害が1つ あると、
何度も何度も言われます。
それは、反論するのが 最も難しい問いです。
「もし神が、愛で、全能なら、
この世に、苦しみや悪が あるのはなぜなのでしょうか?」
簡単に答えられる問題ではありません。
キリスト教についての 他の疑問や批判ならば
答えることができますが、
苦しみや悪についての議論は
皆、熱が入ってしまい、 なかなか答えに行きつかない。
論じたければ、
神には触れずに、 人間の苦しみは進化の一部
なのだと言えばいいのです。
弱肉強食の理論で、
弱いものは淘汰される必要があると。
ただ21世紀にもなって それはナンセンスです。
たとえば、葬儀の弔辞(ちょうじ)で 「彼は弱者だから死んだ」
などと、そんな意味深なことを 来賓に向かって、
言いますか?
人々はお互いに、「アイツ正気か?」と ささやき合うでしょう。
信じてもいない神に怒る、 という奇妙なことをする人がいます。
この世はこうあるべきなのに、 そうではないからと。
苦しみや悪が問題になるのは、
命は尊く、存在には意味があると、
誰もが思っているからです。
ですから、苦しみについての問いが 実際に意味をなすのは
神が存在する場合です。
だから問うべきは神の存在ではなく、
「神はどこにいるのか?」、または
「神はどこにいたのか?」
苦しみは私たちの存在に切り込み、
思いもしなかった問いを 抱かせます。
このような質問には、 真剣に取り組む、必要があります。
ある人たちには、 問いは短く、簡単です。
「神よ、なぜですか?」
関係性を問う人は
「なぜ、彼らにそうさせたのですか?」
親しい人たちが苦しむと、
それによって、私たち自身も、 苦しくなります。
彼らを愛しているからこそ、 気になるのです。
愛することに意味があって、 愛を経験できるこの世だから
そのような代償もあるのです。
愛は選択です。
誰かが「愛している」と言っても、
自由に、言ったのでなければ 無意味です。
それが無理強いされていたり
プログラミングの結果であるならば、 その言葉は、空虚です。
この世界では、 行動にも選択の余地がありとても冷酷で、
破壊的行為を、 選ぶこともできるのです。誰でもね。
ですから一方では、 自由意志を与えてくれた神に感謝し、
他方では、
人間の選択が招いた結果の対処に 追われてしまうのです。
飲酒運転や、殺人、テロ行為などもそう。
中には常に 答え難い問いもあります。
苦しみが人間の選択を 超える時です。
自然災害や、 ガンなどの病気です。
それでも希望を与えてくれるのは キリスト教が持つ独自の見解、
人となった神が人の為に、 苦しんだのです。
神である、イエスが世に生まれ 痛みを、自身で経験したのです。
誤解されたり裏切られたり ムチ打たれる痛みを
知ったのです。
十字架で、イエスは、 孤独も経験した。
聖書にはこう書かれています。
イエスは、「私たちの弱さに 同情できない方ではなく…
…あらゆる点において、 私たちと同様に試練に遭われた」
苦しみと信仰の両立は 難しい。
神が天から人間の苦悩を見下ろして 「それくらい我慢しろ」
と言っている、などと思いますか?
それは、 イエスが示す神ではないし、
聖書が示す神でもありません。
C.S ルイスは、 友情が生まれるのは、一人がもう一人に
こう話すときだと言っています 「なんだ、君も?」
「自分だけだと思っていた」
イエスは、あなたが苦しんでいる時 言ってくれる。「私も知ってる。
痛みを」