エピソード
6.2 なぜ私に起こったのか?
5 分FHD
トランスクリプト
Japanese (日本語)
北アイルランド生まれの僕は、
警官として 紛争の真っただ中にいた
北アイルランド全体にとって、 辛い時期でした。
乱闘騒ぎの中で、
3度に渡る爆弾攻撃を生き延びました。
3度目の時に、腕を失いかけ、 後で医者から、
死んでもおかしくなかったと聞きました。
肘は砕けましたが、腕は 辛うじて繋がっていました。
医者は切断を 勧めてきましたが、
神が治してくれると信じていました。
3つの病院に送られた後、 手術を受けましたが、
腕はもう使えないと言われました。
でも今日、 僕は完全に腕を使えています。
その後、警察は退職しました。
最悪の時は超えた筈。
しかし、5年後、
妻と娘二人を車に乗せて、帰宅して いましたが、
道中で自動車事故に巻き込まれました。
妻と末娘は亡くなり、
長女は体の片方が麻痺しました。
僕は10日後に昏睡から覚め、
病院に着くまでに少なくとも 5回は死んだ、と言われました。
頭蓋骨の損傷、
眼球、鼻、顎、肩、肋骨も折れ、
肺には穴が……。
僕がもう助からないだろうと医者は、 家族に伝えた。
しかし出会ったのです、きっと 多くの人達は信じないでしょうが
とてもリアルに、
イエスに出会いました。
僕は、イエスの愛と平和を感じて 圧倒された。
気がついて、妻と末娘の訃報を 母から知らされて
正直、昏睡していた方が ましだと思いました。
しかし長女の話を聞いた時に、 生きようと心に決めました。
その日から 経験してきた悲嘆の深さを、
説明することは難しいです。
イエスとの出会いによって、 全て解決したわけではありませんが
2つの重要な変化をもたらしました。
苦しむ僕の側に、イエスがいることが 分かり
自分の体と長女が 癒されていくにつれて、
神の偉大さを、 思い知ったのです。
事故から5週間後には
僕は4才の娘と 一緒に歩いていました。
二人とも、希望と回復に 向かっていました。
あなたにとっての辛い経験が どれほどのものかは、分かりませんが
デビッドのような方もいるでしょう。
でも、僕の経験では、
人は善意で ひどいことを言うことがあります。
たとえば、失恋をした人に、 「乗り越えられるよ!」
「海の魚みたく、
いっぱいいい子はいる」と。
僕は魚が大嫌いだし
乗り越えたいなんて思ってない。
「すべていい方に収まるよ」なんて 勘弁して、欲しい
手厳しいかもしれないけど、
こう言いたい、「黙って」と
事がいい方に収まって欲しいわけでも、
変化を望むわけでもなく。
昔に戻りたいだけなのですから。
善意や、悪意に関係なく
時に言葉は害をもたらします。
辛い時に、僕たちが すべきことは
相手に口出しすること、ではなくそばで
支えてあげることが必要なのです。
ヨハネの福音書には、
イエスの友人、マリアとマルタが、
弟ラザロの病の為に、
イエスの元に使いを送ったと 記録されています。
彼女たちはイエスと親しかったため
このような時だからこそ イエスを呼んだのでした。
しかしイエスが到着する前に、 ラザロは亡くなってしまいました。
遺族は遺体を丁寧に包んで、
泣きながら葬儀を行い、 そして、埋葬したのでした。
イエスが彼らの家に向かうと、
マリアもマルタも、それぞれが、イエスに 向かって、このように話しました。
「もしここにいてくださいましたら、 わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」。
誰だってそう言いたくなる。
表現を変えれば、
彼女たちはこう言いたかったのだと 思います。
神がその場にいてくれたら、と。
イエスは言い訳もせず、
怒りもしません。
自分は神だから好きにできる、 とも言いません。
むしろ、イエスは涙を流されたのです。
この話をご存じなら イエスがこの後、彼を復活させたことも、
知っていますよね。
イエスの奇跡によって、 状況が変わったのです。
悲嘆に暮れ、
心が苦痛と、怒りで満たされ、 涙が溢れる時に、
イエスは共に、泣き、痛みを、 分かち合ってくれます。
神がどのように、苦しみに 応えてくださるかが分かります。
僕の友人デビッドの経験がそうです。
イエスは、私たちのために、神として共に、 苦しみを、分かち合って、くれます。