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トランスクリプト
Japanese (日本語)
「罪」と聞くと、重大な犯罪などを考えがちですが、本来、 私たちが目を向けるべき問題は「法律が破られた」ということです。
それぞれの国に 独自の法律があります。
「ゴミを捨ててはいけない」というような決まりは、どこでも共通しているものです。
法律は社会や個人の安全を守るために作られています。
他にも「法」といえば、重力で物が落ちるという物理法則や、 種が育つには水と光が必要という自然法則などもあります。
それらの法則のように、神の完璧さ、というの
もそれ自体が「法」なのです。 国の法律がその国の人々の基準であるように、
神の決まり事とはこの世のすべての 人々の「基準」なのです。
神の決まりは、人が最高の人生を生きる 道標といえます。
神の決まりの中に生きている私たちが、それに沿わないなら、
罪となるのです。 アダムとエバ以来、私たちは皆、生まれた時から
罪という「状態」にあり、 神の正しい基準に沿って生きることができません。
それが恐ろしい犯罪であろうと、 小さな嘘や不純な えのように些細なことでも、
私たちを神から遠ざけているのです。 人間関係においても同じことが言えます。
他者を大切にしたいと願っていても、善意でしたことが、 かえって相手を苦しめてしまったりします。
その罪という状態ゆえに、他人や自分、
自然、そして神との真のハーモニー自体、不可能です。
このような不和が生まれているのは、 はるか昔にアダムとエバが経験した堕落のためです。
彼らのように、私たちも逃げているのです。
私たちは方向を変えなければなりません。逃げるのではなく、
向きを変えて神に向かっていくのです。神は聖書で、 「わたしは誰の死も喜ばないから、
方向を変えて生きなさい。」と 言われています。 裂け目の入った関係についての問題はまだ
残っていますが..... 神は対処するプランを持っておられました。
「4. キリストの十字架とは」へつづく